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堀口ひとみHP2010
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堀口ひとみ 自己紹介



Coach / Seminar/ Consultant  堀口ひとみ 1975年3月13日生まれ
株式会社パールプリュス代表取締役 コーチ・コンサルタント・講演・セミナーなどを中心に活動。

大学卒業後、1997年日本マクドナルドに入社し、5年間 の店舗勤務を経て、2002年アパレル業界に転職。2004 年リステア渋谷店の店長をしていたときに、戦略で始めたブログ が、人気ブログランキングファッション1位となり、お店の売 上げも、前年対比+1400万(月)アップ。
2006年6月独立。2009年3月株式会社パールプ リュス設立。独立後2年で継続コーチングのクライアントさん常時25名、 単発セッションも含めて、月70セッションを実施中。相手の 幸せの形を理解する考え方を広めるために、「天使トークセミ ナー」「質問メイクセミナー」など、独自のセミナーを行ってい る。また、アパレル時代の実績を活かし、企業で、講演活動を実施。新しい価値観、可能性を広げる素晴らしさ、最初の1歩を踏み出す感動を提供している。

私の原点
1975年3月13日 東京の下町で生まれる。3人兄弟の長女。
私がこの家に生まれたのも、まずは祖母に会うためだったと思う。
都議会議員をしていた祖母は、家族旅行の時にも仕事があると言って、
新幹線であとから家族と合流し、いつも家族より一足早く帰るような仕事人だった。
70歳までヒールを履き、ヘアスタイルも毎日整え、おっとりとしているようで、実は芯の強い人だった。
私が15歳の時に他界したが、もっと祖母と話がしたかった。

そんな祖母から、関東大震災の話を聞くのが好きだった。祖母の家は同じ敷地内にあったので、
日曜日は、弟、妹も一緒に紅茶を飲みに行った。祖母のバッグには、演説などもあるからだろうか?
ライオネスコーヒーキャンディーが、いつも入っていた。
私の中で、祖母の生き方は目指すべき人物である。

祖母と私 (祖母と私)
幼児のころの私の性格

ほとんど泣かず、四六時中睡眠をとっている赤ちゃんだったらしい。
なので、手が掛からず、逆に言うと、ぼーっとしていたのかもしれない。

幼稚園の時は、3月生まれということもあり、先生には、存在感のない子といわれていたらしい。
自分ではほとんど記憶がないが、鼓笛隊でベルリラをするなど、音楽はとても好きだった。
4歳の頃から、ピアノを習いはじめ、ドレミの聞き分け(聴音)は得意だった。

 
1982年1月 小学1年生での書き初めで金賞を獲得。努力は報われるを初めて経験。
人生初の脚光を浴びた出来事は、小1のペン習字の書き初めで金賞を獲得したこと。
あまり自信のない子だったため、母が一生懸命になって、お正月にトレーニングをしてくれた。わたしも努力した。
努力は報われるとういことを、母は体験させてくれた。
目の前のことに、とにかく打ちこむことを教えてもらった気がする。
その経験がきっと、いつでも自分らしく1番を目指したい!という気持ちを育んだと言えるだろう。これが私の原点になっている。母、ありがとう!

1982年3月 母がお誕生日会を開いてくれた。
(写真左端が私)
「ひとみちゃんは、学校で何して遊んでいるの?」とある日、母に聞かれた。
「ひとりで遊んでいるの」と答えたことにビックリした母は、お誕生日会を企画してくれた。
自宅の庭で、みんなと遊んだ。母の企画で、私は人気者になれた。

■うちの夏休みは、いつも熱海、小田原。姫ノ沢公園のアスレチックが大好きだった。

(写真左:オニヤンマを捕まえた後の私。小3)

■家が自営業だったため、コピー機、テレックス、タイプライターがあり、小さい時から触っていた。
小1の頃、父から手品を教わり、お楽しみ会で手品を披露していた。
父の書斎の占いの本などにも興味を持っていた。

小2の2学期から、ようやく成績もアップしてきた。
リレーの選手にもなれるようになる。髪が長く、自分で結うのも好きだった。
反町先生の、毎朝クラスで歌を歌うという企画が好きだった。
3月に、先生が全員のために、『みんなのうた』という歌集とカセットをくれた。とてもうれしかった。

 

■『一日一字』という、漢字の宿題に熱中した。
制限もなく、どこまでも取り組んでいいというものだった。
谷口先生のはなまると一言メッセージを楽しみにしていた。
宿題をすべて済ませてから寝るのに22時になっていたので、それだけ楽しかったと言うことだろう。
学校を休むことは、私の中であり得ないことだったので、風邪気味でも登校していた。
一番前の席で咳をして辛そうにしていたら、谷口先生に早退するように言われたことがあった。仕方なく早退した

課題の『一日一字』 
「体調の悪い時には休みなさいよ。できるときにどんどんやればよいから」と書かれている。

■小4の時は、バービー、フローラーの人形でいつも遊んでいた。
人形が住む家を箱で創作するのが好きだった。
父は、八ミリカメラで撮影したり、写真を撮るのが好きだった。
父の影響を受けて、私も小4くらいから、八ミリカメラで撮影するようになった。
■小5の時に、お隣のまりちゃんに、「登校班班長」をして欲しいと強く言われ、しぶしぶ班長となった。
ただ歩いているのもつまらないので、いろいろ遊びをしながらみんなを引き連れて登校した。
今思うと、自由すぎるひどい班長だった(笑)。
学校には全校生徒の中で1番に着いていた。
■声のものまねが得意で、お楽しみ会では、おニャンコクラブの人のものまねをしていた。
小学生の頃、”お楽しみ会”というものに、やたらと燃えていた。
■公立であったが進学校だった。みんなが進学塾の四谷大塚に通う中、私は塾へも行かなかったが、どうにかついていく。
みんなは、「かなりませた小学生だなぁ」と俯瞰してみていた。どのグループにも属さない、中庸な感じだった。
■小6の時に、ワープロを使い始め、学級新聞をワープロで作る。千葉先生に褒められた。
■小学生の頃の、私のこだわり。
・学級委員は、行事が一番多い2学期に立候補し、3,4,5,6年生は、2学期の学級委員を務める。
・お道具箱の中身はいつもきれいにする。
・ランドセルはつぶさない・転校生とは、いち早く仲良くなる。
・どのグループにも属さない。・夏休みの自由研究は、誰もやらないものをやる
・掃除は一生懸命にする。
・縄跳び、笛はガンバル
・髪の毛を自分で結ぶ
・手芸新聞を作る
・宿題を一生懸命にやって、先生を驚かす。
・水槽をきれいにする。
・半袖で過ごす。
・学校には1番早く着き、教室の窓を開ける。
・学校を休まない。・給食は全部食べる。
・学期末は、荷物を分割しながら早めに家に持って帰る。
中学、高校時代
中学校の時に、影響を受けた先生がいる。
中2の時の橋爪先生のクラス運営に関して、尊敬をしていた。
偏差値が学年で1位のクラスで、運動会、体育祭なども、1位を総ざらいするくらいの勢いで、団結していた。
また先生の書く、毎日の新聞が面白かった。自分もあんなリーダーになりたいと、思っていた。

 

中学の時の趣味はプロ野球観戦
友人が、野球観戦に連れて行ってくれたのをきっかけに、プロ野球おたくになった。
毎日、フジテレビのプロ野球ニュースと、新聞のスポーツ欄をチェックしていた。
基本巨人ファンであったが、池山隆寛選手の大ファンとなり、神宮球場の外野指定席で傘を持って観戦していた。


勉強
子供のとき、父の知り合いの外国人が、うちの事務所で英会話教室を開いていた。
そういうこともあり、英語が好きな教科だった。成績は、いつも中の上くらい、音楽だけ5で、ほとんどが4だった。
高校は、女子高へ。
大学が付属で付いている楽なところを選ぶ。
ちょうど、バブル期であったが、どうしても女子高になじめず、つまらない高校生活を送る。
大学こそ、楽しくするぞ!と思いながら・・・・・。

将来の夢、コピーライター、エッセイスト、コラムニスト。
1991年頃、深夜番組に夢中になっていた。
特に糸井重里さん、秋元康さん、泉麻人さんらが出演していた「TVブックメーカー」という番組が好きだった。
それから、コラムニスト泉麻人さんの本を読むようになった。読書が嫌いな私が、初めて夢中になって読んだ本。
私もいつか、コラムニストになりたいと思うようになっていた。
■自営業なので、家のビジネスを手伝うこともあった。広告や値づけなどについては意見をした。
バブル崩壊後、少々のあおりを受け、ビラをマンションにまきに行ったことも。
1993年4月 東京家政大学英語英文学科へ入学。テニスサークルに所属。
大学時代は、勉強はそこそこに、バイトとサークルに明け暮れる。
早稲田大学と合同のテニスサークルに所属する。どの学生よりも頑張ってテニスに通う。
つまらなかった高校生活を挽回するかのように、どうにか、大学生活を楽しみたいと、必死だった模様。
大学3年生になって、裏の幹事長と言われるぐらい、いろいろなイベントを企画する。
都営線をつかったスタンプラリーを考案、参加する人たち、ちょっと大変だったんじゃないかと、今頃反省。(爆)


1993年7月から4年間、アルバイトは、Yesterday(すかいらーく系)でウエイトレス。
ある日の新聞広告で、近所のちょっとオシャレなファミレス『Yesterday』一つだけ面接を受ける。
当時の私はセルフイメージが低く、裏方的な仕事が向いていると思い厨房希望で面接を受けた。
しかし、面接してくれた社員さんに、「絶対にウエイトレスが向いているよ」と、面接なのに40分も熱く説得され、
しぶしぶウエイトレスになる。結局4年間、ウエイトレスのアルバイトを続ける。ウエイトレスの仕事をする仲間たちは明るい人が多かった。仲間の影響を受けて、自分らしさがどんどん引き出されていった。
相手のことを考えて行動することを学んだり、臆することなく自分らしさを発揮できるようになっていく。
サービス業を通じて自分の変化を感じる。20代後半になった時、サービス業の素晴らしさを伝える人になりたいと思った。


1996年6月 教育実習のため、母校の日本橋中学へ。英語を教える。
面白そうだし、将来役に立ちそうという理由で教職課程を選択。
ゲームをしながら学べる授業を研究授業とした。担当の英語の先生と生徒には絶賛されたが、
なぜか家庭科の先生には批判された。ミニスカートも注意を受けた。教育実習後、学校の先生には、ならないと決める。
道徳の時間では、「相手のことを考えたことありますか?」というテーマで、授業をする。
このころから、天使トークセミナーにつながるような授業を行っていた。
授業を作ることの面白さを体験し、教えることは向いていると感じた。
就職とは、結婚相手を探すためのものだと考えて、就職活動をしていたが、そのころ社会人の彼ができたため、
「本当に自分のやりたいことにしよう」と安心して方向転換する(笑)。
日本マクドナルドに入社を希望した理由は、自己分析をした結果、リーダーシップを発揮することが、資質にあったため。
逆に、性格的に事務やサポート側は無理。現場で働きたいと思った。
マクドナルドの会社説明会で、入社2年目の社員がグランドオープンを手掛けるドキュメンタリービデオが流れ、
「絶対に入社したい!」と熱く思う。
給料が決算賞与も入れてボーナス9か月ということにも、惹かれた。こんなにお金をもらえるなら、
ま、がんばれるかなと、思った。
極めつけは、創始者の藤田田氏と、3月13日生まれで一緒だった。
1996年7月 日本マクドナルド株式会社 内定獲得。
10月から、マクドナルドの入社前勤務開始。ビックマックがうまく作れずに社員に怒鳴られることもあったが、
ウエイトレスのバイトも掛け持ちし、卒業旅行のために旅行資金を蓄えた。
1997年2月 卒業旅行は、ミラノ、フィレンチェ、ローマ、ベネチア、パリへ
1997年3月 大学卒業

 

大学時代は、ずっと日記をつけていた。老後の楽しみのため保管。
 
1997年4月  日本マクドナルド株式会社 入社
最初に配属された店舗は、子供の頃、よく行った、近所のマクドナルドだった。
入社して半年位して、サービス担当になり、お誕生日会の件数を増やす。という目標を与えられる。
アルバイトの高校生をまとめ、前年対比2倍のお誕生日の件数を獲得。
男性の社員が圧倒的に多い職場は、体力もかなりいる。入社3年以内に85%の女性MGRが辞めていく。
女性MGRは目立つため、毎年の会社説明会でのパネラーに選ばれた。転職誌DUDAに、新入社員のなかから選ばれ、
「どんな25歳になりたいですか?」という企画で取材を受けた。

 

1998年12月世界初セルフピックアップ店舗の日比谷シティ店のグランドオープン社員として異動
日比谷シティ店は世界中から注目され、毎日VIPが来店。
そんなプレッシャーの中、自分の適当さに気づかされ、徹底してやることの大切さを学ぶ。
QSCの店舗の格付けチェックでは、5期連続トリプルAを獲得。
社員教育の場、ハンバーガー大学での1週間のクラスで、ウイナーを獲得。

 

2001年3月 三田駅前店異動。
MFY(メイドフォーユー)のテスト店舗に異動。異動して1週間で、はりきりすぎて帯状疱疹になる。
初めて、仕事を5日休む。はりきった甲斐があって、異動してすぐの店舗格付けチェックで、トリプルAを獲得。
NO.2MGRとして、マネジメントスキルがさらに要求されていった。店長の仕事、PL(損益計算書)なども学び始めていた。
全国のマネージャーのフロアーコントロールコンテストでは、エリアで1位を獲得し、関東地区大会進出、3位入賞した。
2002年5月 27歳 オシャレじゃない私が、アパレルへ転職。
20代で店長になる、という自分の目標が、マクドナルドの業績悪化で見えなくなり、転職がちらつく。
マクドナルドに愛社精神があったので、辞めることに罪悪感を抱いていた。尊敬する上司に相談したら、
「まだ若いから転職したらどうか?」とアドバイスを頂く。そして、あっさりと「とらばーゆ」を買う。
マクドナルド同期の女性が、アパレルに転職したことを思い出し、アパレルのページをめくる。
「マネジメントできる方募集」と書いてあり、運命を感じる。すぐに応募、マネージメントができることを売りに面接に臨む。
洋服には、全く興味がなかった。
『洋服が好きです、と一言も言わないで、マックでの経験を沢山語って入社できれば、私のやるべき仕事があるはず』と思った。
翌日、入社が決定。自分でもびっくりした。2002年5月10日マクドナルド退職。有給2カ月間は、ボーナスと退職金を使って、
NY2週間語学留学をする。ハワイへも遊びに行く。



7月 アパレル勤務開始。転職後2ヶ月で店長に抜擢。
7月1日 リステア東京(銀座)勤務開始。セール初日に勤務開始で、かなり驚いた。
入社して2週間で現場のレポートをまとめ、社長に提出する。「8月末に横浜店がOPENのため、
銀座の店長がそちらに異動なので、銀座の店長をしてくれないか」と話が来た。
「店長やりたいって言ってたよね?」と確認され、承諾する。給料も10万円アップ!27歳と5ヶ月。
20代で店長になる夢が叶う。
2003年9月 セールスが停滞していた渋谷店異動。店長の仕事とは?と1年間悩み続ける。
入社2年目、売り上げが低迷している渋谷へ異動。スタッフの固定化と、店舗のシステム化、接客力アップを
メインに仕事をし始める。しかし、セールスがなかなか上がらない。会社から評価されるような材料もなくモチベーションも下がる。
不安の中、社長にお茶に連れて行かれ、「マクドナルドのことは全て忘れてください」の言葉に何かが心の中で割れた。
これまでの自分を置いておいて、新しい挑戦をして、成長していくことが自分に必要だと感じる。
復活をかけて、このころから経営者の友達をたくさん作るようになる。ある日、知人から本田健さんの小冊子「幸せの小金持ち」をもらう。「好きなことを仕事にする」と書いてあり、アパレルの仕事は好きじゃないのに仕事にしていると思う。
しかし、アパレルの仕事の中で「好き」を探していたら、お客様にパソコンでメールを送ることや接客は好きな仕事だと気づく。
そこから考えて、セールスアクションとして、「メルマガ」を始めようと思い立つ。

 

3月 会社に内緒でお店独自のHP作成。
メルマガ戦略では、たまにあるメルマガ解除に心が折れる。
気持ちの良い効果は出なかった。知り合いのコンサルタント会社社長に相談すると、「給料100万円もらったら何する?」と
質問をされる。
そして思いついたのが、HPを作ること。夢中でつくり、5日で完成。スタッフや自分のお客様にも好評だった。


7月 こちらも内緒でお店のBLOGを立ち上げた。
知人から、ブログの存在を教えてもらって、お店のブログを始める。
アパレル店長で、ブログをやっている人は、まだいない時代。
お客様にも毎日更新が好評。自分自身も、毎日書くことによって、日々を大切に過ごすようになっていく。
(会社の皆様、密かに見守っていくださってありがとうございました)
2005年2月  セールス前年対比+1400万達成!!
新規獲得、顧客管理、ブログなど、すべての戦略が功を奏して、
売上前年対比+167%を記録、前年+1400万以上をたたき出す。

 


4月 30歳 コーチングを学び始める。
ブログを使った戦略が当たったことで、もっとセールスを上げたいと思うようになり、スタッフたちの力をさらに引き出すには?
と考えて、コーチ21で、コーチングを学びはじめる。いつか、独立することも、少しだけ視野に入れるようになる。


5月 2日間で10万円のビジネス系のセミナーに参加。将来は「社長になる」と、とりあえず書いた。
30歳の記念にと、2005年4月にあるビジネス系のセミナーに参加。
ここで、メンターとなる金井豊氏との運命的な出会いがあった。(金井氏はゲストスピーカーだった)そのころ、
ブログランキング゙上位者ということで、セミナー主催者の方が、参加者全員の前で、私を紹介してくださった。
そのおかげで名刺交換は自分から行かないで、名刺40枚も集まった。1位を獲ることがこんなにも皆から注目を
浴びるものなのだ、と初めて知る。
「堀口さんは、成功するよ」と何人にも言われるようになる。
セミナーのワークで5年後の自分を決めなくてはいけなくて、とりあえず、「社長になる!」という夢を掲げる。


5月 人気ブログランキング、激戦のファッション部門で1位を獲得。(32週連続1位)

 


6月4日 RITZ金井さんに初めてカットしていただく。
そして、毎日金井さんとのメールが始まり、なんとなくメンターとなっていく・・・・
4月のセミナーで、金井さんがゲスト講師だったため、参加した女性は、金井さんカットを体験できるという特典が付いていた。
初カットは、カラー3色展開となり、ショートカットとなった。周りからは、絶賛!自分も気に入る。
長年、似合わないと思っていたサングラスが似合うヘアスタイルになった。
このことで、セルフイメージも上がり、外見も自信を持てるようになってきた。
そして、金井さんとそのセミナーの講師の方とのお食事に誘われた。成功者二人に囲まれる形となった。
翌日、金井さんがリステアに来てくださった。私は、食事中のためお会いできず、申し訳ないと思ってメールを出した。
そして、その返事がきて、またメールを出したら、またメールがきて・・・・なんとなく毎日メールをするようになっていった。
独立するまでの365日の金井さんとメールのやり取りは、「かないずむ」を読んでほしい。

 

6月 セミナーをやってみたい、と思っていたら
「人気ブログランキング1位の秘訣」と題して、セミナーを依頼される。人生初セミナー。
 
7月 夏のSALES 5000万達成 全店1位 渋谷店最高記録樹立。

ついに、自分の中で目標にしていた数字、売上げ月5000万が達成される。
この数字が達成できたら独立しよう、と決めていた。渋谷店のスタッフ、みんなのおかげだ。

 

11月 初のセミナー自主開催 アパレル店長として成功した秘訣を話した。
コーチ21のクラスコーチ(安海さん)が9月に私のお店に会いに来て下さる。
電話のクラスで、私のことを面白い店長、と思ったからだそうだ。その後、他のコーチ仲間を紹介してくださることになり、
後日コーチの皆さんが、渋谷に来てくださって、私の休憩時間にお茶となった。
安海コーチが「堀口さぁ、面白いからセミナーとかやってみない?」と提案してきた。「ハイやります!」と即答で答えた。
何か、きっかけがあったら、セミナーをやってみたいな!と、7月から思っていたので、そのきっかけを引き寄せたようだ。
安海さんがセミナー会場を押さえてくれて、そしてセミナー成功のため、人生初コーチをつける。
現在も、私のコーチである播磨弘晃氏だ。

当日は、播磨弘晃さんが司会、メンターの金井豊さんが、ゲスト講師を務めてくださった。
渋谷マークシティの店長たち、テナントの社員の方、私のお客様、知人、渋谷店スタッフなどが、続々と参加。
顔見知りのため、当然全員が「よかったよ!」と言ってくれて幸先の良いスタートだった。
私の初セミナーは、沢山の方に手伝っていただき、賑やかなものとなった。

 
2006年1年2日 SALEの日撮影。渋谷店のみんなと。

 

1月 堀口ひとみオリジナルBAG発売!ブランド名  [pearl+]
ネットで何かを販売をしたくて「あったらいいなぁ」という大きさのカバンを100個創った。
友人が私のアイデアをデザインにしてくれた。ブログと対面で販売。
売り始めた月は、1か月で45万円ほど売れた。
 

4月 講演依頼が入り、六本木ヒルズでセミナーを開催。
5月31日 アパレル店長卒業
 
6月 31歳 独立
2006年
6月 独立までのストーリーDVD収録。
7月 金井さんとコラボで初セミナー開催。
9月 NY旅行へ行く前に、トレードマーク(?)の初カリアゲをされる。
10月 接客DVD収録。
2007年
1月 生涯学習開発財団認定コーチ取得。
1月 『90日コーチング』というネーミングを思いつき、クライアントさんを募集開始。
3月 アパレルコンサルの仕事はしないことに決める。
8月 店長DVD収録。
12月 コーチングクライアント常時15名で稼働。
2008年
1月 『独立して月10万円〜100万円のビジネスモデルが学べるセミナー』初開催。
2月 『かないずむ』をコアなお客様に発表。
5月 相手の幸せの形を理解する『天使トークセミナー』初開催。
7月 独立2周年記念公演 with 金井豊氏
8月 『かないずむ』一般公開。1か月で1050名にダウンロードされる。
11月 『かないずむシークレットルーム(SCR)』公開。
12月 コーチングクライアント常時25名で稼働。
 
2009年
2月 『ひとみずむ1−14』発表。
3月 株式会社パールプリュス設立。
3月 私のコーチ播磨弘晃氏と、コラボセミナー「コミコレ」開始。
8月 メンターの一京大喜氏と帝国ホテルにて、2社合同、会社設立パーティを開催。
 
10月 『質問メイクセミナー』初開催。
11月 かないずむSCR 熱海合宿。
 
2010年
2月 『ひとみずむ15−28』発表。
4月 北京、上海にて接客研修実施。
 

いつもありがとうございます
堀口ひとみ



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